2023年度

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    ご無沙汰しております。
コロナが5類になり秩父夏祭りが実施され各事業は4年ぶりに
実施され、忙しくしておりましたHPを見たら半年も過ぎてお
りました。

    5月以降実施された今年度事業

    719日~22日韓日親善協会朴会長一行7名来秩・40周年は

    30周年に準じ両市で開催となりました。

 

姉妹都市交流40周年記念植樹

羊山サルスベリの前訪問団

40周年歓迎会

朴会長挨拶

   *92日:少年団VB大会審判

   *922日:コロナ感染

   入力中

 

 

 

 

 


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    真夏のような日・5月とは思えない地球温暖化の影響なのか?

    南極の氷が溶けて水位が上がって、地球や人類はどうなるので
しょうか?文明開化と自然破壊は比例なのでしょうか?

    日本列島も地震が多発し・物価上昇・電気代の値上がりに驚く

ばかり、日々の糧に事欠く時代が来るのでしょうか?


4月6日

 

    2023年3月2日~8日「マリアナ諸島慰霊友好親善訪問団」

    の一員として4年ぶりに線香を手向けることが出来ました。

   

 

タッポーチョ山の追悼式

風雨の中サイパン島で一番高い山:空・海・陸から攻撃され、日本軍最後の玉砕地です。2019年にはロープに捕まり登りましたが立派なコンクリートの階段になっておりました。

         追悼文    2023年3月6日

令和4年度マリアナ諸島慰霊友好親善訪問団の一員として参加

   させて頂き、今日ここにお参りできますことに心から感謝申上げ、

お線香を上げさせて頂きます。

出征してすぐに戦死の公報が届きましたが、何一つ遺品が無く、

墓地は空っぽです。

輸送船が爆撃されたか、立待岬から飛び込んだか、いずれにし

ろ海の藻屑になってしまったのかと思い、平成元年に初めてこの

サイパンの地を訪れた時は、唯々海に向かって手を合わせました。

多くの墓石にお参りし、涙・涙のサイパン・グアム・テニアン

でした。

20163月予期せぬ奇跡でした。「武運長久の日章旗の為書き」

が、ワシントンから帰ってきました。銃の貫通した穴と所々に血

の染みが残った、最後まで身につけて戦った大事なものだと思い

ました。そして、海ではなく陸地で戦死なさったのですね!

勝者が戦利品として剥ぎ取ったものなのか?送ってくださった

方のお父様が亡くなるまで気に掛けておられたそうです。

戦争とは殺されるか殺すかの極限の状況の中で起こったことで

も、勝った方も負けた方も何時までも心に深い傷を残すものだと

思います。

2019(平成31)12度目の慰霊巡拝で亡くなった場所が、

地獄谷の奥地だとのことで、道もなく赤い蟻が一杯の荒れ果てた

密林の入口でご冥福を祈りました。追われてここまで逃げて・・・

言葉もありませんでした。が

 今回、資料等で詳しく調べて頂き、ここタッポーチョ山の玉砕と

のことで、ここで供養させて頂きました。

2度と愚かな戦争が起こりまませんように願い伝えていきます。

そちらの世からも見守ってください。

「お父さん!お父さんが生きていてくれたら私たち3人姉弟の人生

も変わっていたかもと」何回も思ったことも有りましたが、3人とも

とりあえず無事に暮らしておりますことをご報告申上げます。

ここに逢いになかなか来られませんが、

どうぞ安らかにお眠りくださいませ。

そして御霊は影森へ帰ってきてください。

ご参列頂きました皆様に心から重ねて感謝申上げ

追悼の言葉といたします。

               齊藤雅智    長女 磯田久子

 


 

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コロナ禍の2年間中止・中止で団体も個人も疎遠になりましたが、

夏祭りを機に活動が復活しつつあるようです。

この2年間はコロナと共に忘れられない出来事の数々でした。

年々賀状も減っていきます。

3日に新年のご挨拶に伺い内田和子様が11月に旅立たれたことを

知り驚きました。

元市長ご夫妻は「育ちの良さ」を感じさせる素晴らしいお二人で

した。

最後にお会いした時に「もう少し世に中の流れを見たいから人生

一〇〇年時代目指してお互い健康でいましょう」と・・・

まだまだお話ししたいことが一杯あったのにと・・・

心からご冥福をお祈り申上げます。

 

新 春